葬儀屋ですけど、怖がりだったんですよ。
葬儀屋、はじめました。③
「死ぬほどゆうれいが怖かった男が、霊柩車の運転手になったのは……」(前編)
語る人=水野昭仁(さくらセレモニー代表)
インタビュー・文=朝山実
前回を読む☞死亡届って、じつは個人情報満載なんですけど… - 葬儀屋、はじめました。
「霊柩車の運転手になったきっかけですか?
すごく安易なんですが、その前は大型トラックの運転手をやっていたんですよぉ」
30代前半の頃。ミズノさんは、10㌧トラックを運転し、冷凍食品などを運んでいた。転職を考えたのは、10年後、20年後もいまの仕事を続けることができるだろうか。迷いがあった。
「体力のいる仕事だけに、年齢がいくとやれない。将来が見えなかったんですよ。正社員でしたけどね。もう一回、4㌧トラックに乗り換えるか、よほど会社に貢献をしないと事務職や管理職になるのは無理だろう。ずっといられるところじゃないなぁと思ったのと、入社したときに惚れ込んだ社長も退職されてしまったし……。
その社長さんは雇われ社長だったんですが、面接のときに、『ミズノ君、うちは夜の勤務が多いから、昼夜逆転になることもあるので、自分はいいと思っても、決めるのは家に帰って、奥さんと相談してからにしたほうがいいよ』と、家族のことを気にかけてくれる人やったんです。それで、この人についていこうと。でも、その人が定年退職したら、ここでなければという理由もないなぁと思えてきて」
考えた末にミズノさんは、退職を決めた。ハローワークで目にとまったのは、「霊柩車の運転手募集」。月給30~35万。大型トラックと比べると給与は下がりはするものの、長い目でみると、いいように思えた。
「霊柩車って、なんぼ忙しい言うても、そんな一日に何回も出動する訳ないやろう。長距離トラックのときは8時間かけて関東まで行って、10㌧の荷を一人で降ろすんですよ。そのぶん給料はいいんですけどね。
パレットの上に荷を積み上げていって、ある程度の量になったら、リフトを操作する人が運んでいく。積み入れるときも同じです。リフトで運ばれてきた荷物を、ひとりでトラックに積む。いずれも、だいたい2時間はかかります。
夏にアイスクリームとか運んでいると、時間かけてられへんからね。急いでやらんとアカンのですよ。しかも、冷凍でしょう。極寒の寒さやし、力仕事やし。おかげで筋肉モリモリやったんです。それからしたら、葬儀の仕事はそんなに体力は使わないんで、身体もひとまわり小っちゃくなりましたよ(笑)。
もともとは建築の仕事をしていたから、力仕事には自信はあったんですけどね。ひとりでトラックいうんはホンマきついですから」
──以前、家の整理するのでクルマで荷物を運ぶ手伝いをお願いしたら、ロープの結びとかが上手いと思ったんですが、あれはトラックのキャリアだったんですか。
「ああ、あれはトラックやなくて、建築屋のときからかも。10㌧のときはロープでくくるとかいうことはなかったから。
それで話を戻すと、霊柩車の会社に入ったのは安易な気持ちやったというのは、ハローワークの募集を見て霊柩車の会社にまあ一回面接に行ったんですよ。
行ったら何のことはない。宿直はあるし。病院のお迎えもあるし。警察の仕事もあるし。自宅死亡もあるし。そもそも、霊柩車になんか最初から乗せてくれへんしね。
寝台車のお迎えを1年から1年半くらいやって、はじめて出棺の仕事を任せてもらえるんですよ」
──募集にはどう書いてあったんですか?
「“寝台車、霊柩車の運転手募集”でした。当時はまだ、寝台車の意味がよくわかってなかったですから。
それで、採用になるんですが、二日間は体験入社で、給与なし。『それでもよかったら一回やってみるか』と言われ、というのも、この仕事は生理的に合わない人はいくら頑張ってもできへんからって」
前回のインタビューで、病院にご遺体を「お迎え」に行く様子を紹介したが、ミズノさん曰く「病院のお迎えは幼稚園みたいなもの」で、業務内容で段違いにハードルが高いのは「自宅死亡」。近ごろは「孤独死」ともいわれるが、単身生活者が死後何日かして自宅で亡くなっているのが発見されるケースだ。
そういう現場で、臆せずご遺体に触れるかどうか。面接の場では「やれます」と言い切ることが出来ても、いざその場に立つと、腰を抜かしてひっくり返ってしまう人もいるという。
「で、まあ、行きました。体験入社の初日。あれは、夏前くらいやったんかなぁ。暑かったのは覚えているんで。
まず最初は、先輩と一緒に病院へのお迎えやったんですが、こんなふうにするんやでと教えてもらって、
『キミ、やれるかぁ?』
『大丈夫です』
『でも、今日はな、まだ病院やからあれやけど、警察(扱いの事件や事故)とか自宅死亡の場合は大変やでぇ、そのとき出来るかなぁ』と言われたんです」
結局、体験入社の二日間には自宅死亡も警察扱いもなかった。「それで、どうする?」と問われたミズノさんは、二つ返事で答えた。すでにトラックの会社には辞表を出していた。すでに迷っている場合でもなかった。
──率直に言って、霊柩車の運転手にしろ、寝台車にしろ、抵抗は感じなかったんですか?
「うーん……、ありましたよ。
というのも、ボク、すごい怖がりやったから。そもそも、トラックの会社を辞める前の話なんですけどね、大型トラックに乗る前は4㌧車に乗ってたんですよ。
これ、名前は伏せておいたほうがいいかなぁ。ある大手のファースト・フードにしておきますね、そこの食材のルート配送やったんですけどね。夜の10時に積み込んで、神戸の方に走っていく途中に、2軒、コワイところがあったんですよ。
夜中やし、誰もいない。ドライブ・スルーのある店舗で、そこにクルマを停めて、荷物を運び入れるんです。
作業をしているとね、ピン、ポーン♪と音がする。
ドライブ・スルーのセンサーが働いて、お客さんが来たことを知らせる音なんですけどね。最初は気にならなかったんです。会社に帰って、そのことを報告したときも、『ドライブ・スルーが反応しているんやろう』って言われたし。
でも、次に行ったらまた、ピン、ポーン♪って。
……なんやろう。猫かなぁって。猫やな。猫や。ぜったい猫。
そういうのが、何回か続いたんですよ。
でも、猫にしたら、こんなに何度も反応するのはおかしいんちゃうか。だって、時間が深夜の2時でしょう。猫でなかったら、何やろう……。
もう一軒、西明石のほうにも同系列の店舗があって、そこもね、野菜室が奥まったところにあるんですよ。手前に洗面所があって、前に鏡がある。
『この鏡、なんやコワイなぁ』そう思いながらチルド室に行こうとしていたら、あの、子供くらいの大きさのが鏡を覗いているんですわ。
ええっ、いまの何、ナニ!?
おそるおそる見直したら、もう何もないんですけど、ゼッタイなんかおったわ。
『うわ、怖いわぁー!!』って。
会社に戻って、こんなことがあって、
『もうめちゃくちゃ怖いんで、ルートを組み替えてもいいですか?』と言うたら、
『まあ、かまへんけどな。でも、いまのルートがいちばん理にかかっているんやから、変更するとジブンがしんどいだけやでぇ』って。
でも、怖すぎるんで、ルートを変えたんです。
そうしたら、たしかに無理があって、どうにもキツイんですよ。
『もう辞めたいんです。あまりに怖すぎるから』って上司に嘆願しました。笑っておられるけど、これホンマですよ。
上司からも『ミズノ、おまえオバケが怖いから辞めたいって。そんなヤツ、はじめてやわ』て笑われましたけどね」
続きを読む☞「孤独死」に立ちあう、搬送ドライバー
イラストレーション© KUM
写真撮影©山本倫子yamamoto noriko