家族がなくなったときに葬儀屋さんは自社で葬儀をするものなの?

葬儀屋、はじめました。⑦

身内のお葬式

 

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いろいろ転職し、御遺体搬送のドライバーから葬儀社を始めたミズノさん。お弔いの仕事に従事するひとが、日頃どんなことを考え悩んだりしているのか…。

 

語る人=水野昭仁(さくらセレモニー代表)
インタビュー・文=朝山実
写真撮影©山本倫子yamamoto noriko
ふろくマンガ©KUM

 

「やっぱり嫌ですよね」

 葬儀屋のミズノさんがめずらしく沈んだ声になったのは、相次いで社員の葬儀と義父の葬儀を、自社の会館で行ったときのことをたずねたからだった。

「ほかの会社に(葬儀を)頼むというひとも、中にはいてるかもしれないですけど、やっぱりジブンがそういう仕事をしているんだから…」

 社員のAさんは入社1年未満だったが、仕事熱心でミズノさんにとっての期待の星だった。突然死だった。兆候がなかったわけではない。文字を書いていたら乱れるというので、「明日は休みだから病院に行ってみてもらえよ」と言った直後だった。まだ40代、ミズノさんと同年齢。早くに気づいていたらという後悔。自身が率先して取り仕切った社葬にしても、十分に尽くせたのかという思いがある。

「あとになってね、ひとに任せるのもありかなぁと思いました。それは、送る相手がジブンにちかいと、適切な判断ができていないことも。それじゃ、プロとしてあかんのですけどね。
 ああ、こうしてあげたらよかったのにというようなことが出てくるんですよね。たとえば、お酒が好きやったから、いつも飲んでいたお酒をね、棺の中に入れてあげたらよかったなぁと。思い出したのは? 式の最中です。思い出すんですよ。うわっ!! あれ用意するのを忘れているわ。何やっているやろうって。
 ふだんの仕事では、そういうところに気をきかして『故人さんの好きだったものは?』と聞いたりしているのに、なんで?と思う。
 たぶん、お参りに来られた人と挨拶とかしていると、気が回らない。気持ちが落ち着かないんですよね。尚且つ、ダンドリせなあかん。あれこれやってると、もう肝心のことが、すっとんでしまう。さっきまで、お酒を買いに行かなあかん、とか思っていてもね。もうスコンと抜けている。
 仕事で葬儀をしているときは、もちろん来られた人から『今回はたいへんでしたねぇ』とか声をかけられることもないしね、業務に徹することができる。今回やってみて、ひとに任せてしまうほうがいいんだろなとは思いましたね」

 社員のAさんが急死してから三ヶ月後、さらに義父の葬儀を体験した。

──葬儀でミズノさんは泣いたりされる?

「ボクね、トシのせいか。涙腺が弱くなってきて。四十過ぎてから、あきませんねん。
 社員のときは、ボロボロでした。ちょうどアサヤマさんが所要でこっちに来られていた日がAの通夜の準備をしていたときで、たぶん、ボクの様子はふだんとそんなに変わりない。そう見えたと思うんですよぉ。まあ、ちょっと寝てなくて気が張っていたというのもあったんですけど。
 でも、通夜も告別式も泣いてました。来られた人に挨拶も、でけへん感じでしたね。ダメダメでした。
 社員のときは、郷里からお父さんが出てこられたんで、喪主の挨拶はお父さんがされ、だからボクが話したりするような場面はなかったですけど。義父のときも、嫁が喪主で、そっちも挨拶はせんでよかった。だけど、ボクの両親は健在ですけど、ジブンはそういうときになったら挨拶なんか、でけんへんわと思いましたね」

──社員にぜんぶ任せるというのは?

「義父のときは、Kという社員に任せたんです。そのぶん楽やったんですけど。それでも間際になって『あっ、スポーツ新聞、棺に入れたらよかったわぁ』。病室でも好きでよう読んでたなぁ。何で早くに思いつかんのか。
 ひとによったらね、『おかあさんが好きやかったら、さだまさしのこの歌を出棺のときにかけてくださいね』と言われ、ボクらも手分けして音源を捜してかけたりする。仕事でいつもやっていることが、なんでジブンのときに思いつかんのかなぁって」

──傍目には冷静に見えても、当事者の内心はそうではない。葬儀屋さんが必要とされる理由は、その辺にありそうな気はしますね。

「ああ、そうそう。そう思いました!! 葬儀屋って必要なんやと思いました。
 この仕事をしていたら、ご家族の方から『ありがとう』と言ってもらえることが多いんですよ。そうか、そういう気持ちになるわぁ、と思いましたね。
 義父は徳島に住んでいて、むこうの病院からこちらの会館までクルマで迎えに行って運んだんです。そのときは、嫁も休みがとれたんで、一緒に見舞いに行こうかと言うてクルマで向かっているときに、『呼吸があやしくなってきた』と電話がかかってきて、病院に着いたときには息をひきとっていたんです。
 それから寝台車をとりにとって返して、会社で寝台車に乗り換えて、社員をひとり乗せて病院に向かったんです。なんだかんだで800キロは走りました。そうです。あのときは二往復です」

──ご遺体搬送車の運転は交替で?

「いえ、運転したのはボクです。なんで? それはなんとなくそうしたかったというか。もう、できるのはそれぐらいかなと。
 なんしかね(とにかく意味)、去年の8月に(結婚の)挨拶に行って、10月に肺がんとわかって、こっちの病院に入院して退院したりというのがあって。お義父さんが『徳島に帰りたい』と言うんで送っていったりしてたんです。長い付き合いをしたわけではないので、オレのことをどう思っていたのかはわからへんけど。もっと早くに挨拶に行っとけばよかったなぁという後悔というか。だから、誰にも運転はさせたくなかったというのはあったんですよ」

──身内の葬儀を体験してみて、お葬式に対する考え方に変化はありますか?

「ありますね。やっぱり、おうちの方から『ありがとう』と言ってもらう、あの言葉の重みですよね。これまでは、そんなにも深くはとらえてなかったんです。言われ慣れしてしまったということもあって。でも、わかったんです。悲しい気持ちにあるときにお家のひとに『ありがとう』と言うてもらえるのは、おっきいなと思いました。
 それがひとつと、アフターフォローみたいなことも必要やなぁと思いました。やっぱり、一杯わからへんことがあるでしょう。手続き的なこととかね。そういうサポートができたらいいなと思いました。たとえば名義変更のことひとつにしても、めちゃ大変でしょう。
 あと、業務的なことでいうと、スタッフがあんまり前に出すぎるのもどうか。でも、お客さんがいつでも声をかけられるようなところにいてないといけない。わかります?」

──気のきく居酒屋の店員みたいなものかなぁ。

「ああ、そうやね(笑)。微妙なんですよね。あれこれ声をかけられると、『もう、そっとしておいてくれよ』という気になるし。だから始終いてほしくはない。でも、すぐに頼めるところにはいてほしい。そういった意味では繊細な仕事やなぁとあらためて思いましたね」

──友人が家族葬をミズノさんのところにお願いしたときに、ワタシの発案で通夜から告別式までの家族写真を撮ってもらったことがありましたよね。最初はなんで写真?というふうに友人の家族は思ったらしいけど、田舎では昔はよく集合写真を撮っていたんですよね。結婚式とかと同じように。そうでもなければ、写真を撮る機会が少ないということもあったんでしょうけど。結果的に、撮影してくれたスタッフさんとの相性もよくて、「お通夜のときにいろいろ話を聞いてもらえ、写真を撮られながらも故人の思い出を話すことができてよかった」というのを後日聞きました。身内だけでしめやかにというのもいいんでしょうけど、誰かに故人の思い出を話しながら、弔いながらも笑ったりして過ごしたいというのもあるでしょうしね。

「たしかに、葬儀というのは、大事なひとがなくなったときにするものですからね。そこをなんでもビジネスで対応すると、あかんなぁと思いますね」

──でも、仕事なんだからビジネスライクにするのも必要ですよね。

「だから、やっぱりボクはこのお葬式という仕事はね、金持ちがするのがいちばんいいと思うんですよ」

──どういうことですか?

「要は社会貢献の気持ちでね、スタッフもそういう気配りのできる人を雇う。ボランティアとは言わないまでも、『オレはこういうのをしたいからやっているんやでぇ』。そういう余裕のある人がやったらいいと思うんですよ。
 ボクらはお金をいだいて、それでメシを食うているわけですよね。お金がない人が『もうこれだけしかないんです』と頼んでこられたら、もう断れないでしょう。ついアカが出ても、(求められている以上に)してしまう。金持ちじゃないのに。そんなことが続いたら、オレ何やってんのやろうとはなります。フフ。もう日々、葛藤です」

 四十九日を経て、ミズノさんは亡くなった社員Aさんの墓参に社員数名とともに行ったという。

 

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