お葬式に列席したことのない年配者が増えている!?

葬儀屋、はじめました。⑨

「アラカルト化していくお葬式」


町の葬儀屋さんがどんなことを考え、
仕事しているのか話してもらいます。



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語る人=水野昭仁(さくらセレモニー代表)
インタビュー・文=朝山実
写真撮影©山本倫子yamamoto noriko
ふろくマンガ©KUM


 この頃は、お葬式後の七日ごとの法要だけでなく、「四十九日」や「一周忌」をしないことが増えているのだとか。
 え、そうなんですか!?と聞き返したが、葬儀屋のミズノさんは困惑というか苦笑ぎみに、「されないお家が多いですね。それでも、初七日はどうしたらいいんですか?と聞かれるんですよ」と話すのだった。

 お通夜を省略した「一日葬」、さらに告別式も省いた「火葬式」と簡略化されたお葬式が普及し、「お葬式」の風景は年々様変わりしつつあるようだ。家族葬を数多く扱うミズノさんは「いまのお葬式は、大方が“自由葬”になってきていますね」という。

「お家の方と打ち合わせをさせていただくときに、うちは無宗教なので、仏式でなくともいいと言われることが増えています。『お坊さんとかはいいから、無宗教でお願いします』『わかりました。でも、ほんとうに何もナシでいいんですか。焼香とかも』とお尋ねすると、『いやいや、それはお願いします』と言われ、『それで初七日のほうはどうしたらいいですか?』と尋ねられることが多くなっています。
 たとえば、お焼香ですが、仏式の作法の一つなので、お坊さんは呼ばずに焼香だけ、というのも、よくよく考えてみたらおかしな話だと思うんです」

 お葬式と聞いて、まず思い浮かぶのは黒い喪服にお焼香の列、袈裟姿のお坊さんの読経だ。そうした見慣れた景色から、お坊さんを省く理由に「信仰心がない」からというのは、聞き手である私はそんなにも違和感なく受け止められるし、葬儀社の立場からも絶対お坊さんは必要かと問われれば、それぞれだというふうにミズノさんも考えてはいる。なにしろ自身の葬儀は、ぼくは神式がいいなぁというひとだ。
 ミズノさんが言うように、よくよく考えてみたら、無宗教でしたいということを希望するなら、お焼香もなくともよさそうだ。あって悪いわけはないけれども。

 ただ、何となくの「お葬式」のイメージの中からパーツを選り分けようとするのは、長年お弔いの仕事に従事してきた人たち目には「ヘンなこと」に映るというのも理解できる。なんかヘンというミスマッチ感覚は、たとえば日本人が異国で目にするお寿司モドキにちかいかもしれない。

「お家のひとから、お坊さんヌキで、お焼香はしたいというご要望があった場合ですか? 『はい、わかりました。では、今回は自由葬ということにいたしましょうか』とご案内するようにしていますね」

 従来の密葬を「家族葬」、火葬場に直接ご遺体を運んで火葬にする直葬を「火葬式」と言いかえてきた葬儀業界だが、近年は旧来の仏式作法に則ったお葬式と区分けするため、仏式の一部分だけをしたいというアラカルト方式のお葬式を「自由葬」と呼んだりするらしい。まだ一般にまでは浸透していない用語ではあるが、葬儀業界で使われはじめたのは何時ぐらいからなのだろう?

「この2、3年ですかねぇ。最近はよく使うんですが……。いま、ネットで調べてみますね。……あっ、出てきますね、『自由葬』。自由葬無宗教の葬儀というふうな意味合いになっていますけど」

 しかしながら、ミズノさんの捉え方は厳密にはすこし異なる。「無宗教葬」は宗教的な儀式を交えない葬儀で、たとえば音楽葬など、送り手が故人に見合った自由な発想で葬儀を行うのがこれにあたる。いっぼうで、お坊さんは不在ながら焼香はあり、というのは完全な意味での無宗教と言いがたいのでは、というだ。

「お坊さんを呼ばないのは、いろいろお金がかかるからというのがあるんだと思います。故人にも残された家族にも信仰心もないから、もう呼ばなくともいいやろうと。それはわかるんですよ。でも、祭壇は欲しいとか、焼香はしたいとか、本来のお葬式の一部分だけを要望されるのはどうなんかなぁと。よく無宗教で、と言われるんですが、祭壇を用いるとなると仏式のものを使うことになる。そのあたりはみなさん、とくに気にはされないようですね」

 祭壇はほしい。焼香はしたい。というのは、これも心理的には理解できる。本当にそれらしき儀式が何もなしでは間か持たず、故人を見送るのにどうしたらいいかわからない。した感じがない。とはいえ、これとあれというふうに選り分けて注文するのは、レストランのコース料理の中から食べたくないものを外してくださいとオーダーする感覚に近いかも。

「まあ、そうかもしれませんね。そいう意味では、一般化している『一日葬』とか『火葬式』も仏式のお葬式というふうに思われていますが、括りとしては自由葬に入りますね」

 本来の仏式の葬儀は、亡くなられた直後にお坊さんがご遺体の枕元で行う「枕経(まくらきょう)」があり、お通夜があり、告別式、火葬場での読経。流れとして、この四つは欠かせない。そういう意味では、一日葬は、枕経とお通夜を省略。火葬式になると告別式も欠くことから、仏式の葬儀からの考えからはまったく外れてしまっている。さらにいえば、昨今主流となっている家族葬にしても、枕経をしないこともあるそうだ。ミズノさんが取り扱う葬儀の中で、本来の仏式やり方に沿わない葬儀はおおよそ7割から8割になるという。

 ちなみに「枕経」とは、お坊さんがご遺体の枕元で、亡くなったことを告げ、あの世への案内をするためのお経をいい、もっとも大切な儀式とされる。

「本来ならば、病院などで亡くなったご遺体を自宅などに運び、すぐにもお坊さんがやってきて、お経を唱えてもらうんですよね。いまは都会だとお寺さんとの付き合いが薄れてきているでしょう、それにお葬式の前にそういうことをするというのも知らないひとのほうが多くなっていますから。
 ひと昔前までは、お寺さんが枕経をしないというのはありえないことでした。ですから、深夜に亡くなられると、お家のひとがお寺さんに電話して、『こんな時間に申し訳ないです』『いやいや、亡くなられたんならすぐに行くわいなぁ』というやりとりをしていたんですよね。
 でも、お寺との関係が薄れてくると、お坊さんも、すぐにも駆けつけて来られていたのが、すぐにが今晩になり、明日の朝には行きますになり、『お通夜と一緒にするよ』ということもあります。
 まあ、お坊さんがそれでもいいよと言われるんだから、いいのかもしれないけど。ぼく個人としては、お通夜と枕経を一緒にするというのはどうなのかなぁ……と。ただ、それを言い出したら、告別式を終えたその日に、初七日もやってしまう。そっちは、どうやねんということになりますけどね(笑)」

 たしかに告別式を終えたその日に、仕切り直して初七日をも済ませるというのがずいぶん前から一般化してきている。私が喪主となった七年前の父の葬儀もそうだった。東京から関西まで七日後に出向くのは大変だからという理由だったが。しかし、こんなご都合主義でいいのだろうかと、もやもやっとしたものだ。
 簡略化が進む背景には、葬儀を行う家族のメリットがある。お寺さんに来てもらうにしても、お通夜を省略すれば、その分のお布施が不要。初七日を告別式と合わせることで、お布施の合算も可能。遠方から来られる参列者も助かる。利便と費用諸々を考え合わすと、いいことづくめである。

「でしょう。いまのひとにはもってこいですから、『それはいいわぁ』となりますよね(笑)。ただ、それって、ちゃんとしたお葬式なん?という疑問はありますよ。葬儀屋が言うと、おまえンところの儲けが減るから言うんやろうと詮索されそうですけど、そういうことじゃなくて、自分たちの都合でやり方を変えてやるんだったら、そういう形式にまったくこだわらず、本当に自由にするのがいいと思んです。
 日本人は宗教心がうすいですからね。結婚式は教会でやって、正月には初詣、それで葬式は仏式。そういう意味では、ちか頃は正月のしめ縄を見かけなくなったでしょう。一つひとつの儀式には、それなりの意味があるのに、勝手にカスタマイズして、面倒なことはやらずにすませていく。そういうお葬式が増えていって、これからは自由がいいわとなっていくじゃないかなと思うんです」

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家族葬の普及で、年配者でも、

お葬式の経験がないひとが増えている


 是非はともかく、簡素化の流れは進んでいくだろうとミズノさんは考えている。だから、時代に即して葬儀社も対応することが大事だとも。しかし、不思議なのは、通夜や四十九日は省いても「初七日をしないといけない」と思うひとが多いことだ。

「何でかわからないんですが、初七日はしないといけないものだという固定観念があるんでしょうね。さっきも言いましたが、すでに枕経もお通夜もしていない時点で、仏式のお葬式からは逸脱していますし、本来の仏教の作法でいうと初七日よりも満中陰の法要、一般には四十九日といわれている、そっちのほうがずっと大事なんですけど、四十九日をしないことが増えていますね」

 葬儀屋さんは、お葬式後も遺族とつきあいが生じる。たとえば四十九日の法要の段取りだ。お寺さんとの連絡や式場の手配。仏壇のない家であれば斡旋する。
 四十九日は「満中陰」と呼ばれ、故人の冥福を祈り、七日ごとの追善供養を重ねた四十九日目にその供養を終える。節目の日にあたる。
 
「でも、この頃はそういう相談はまったくないというのが多いですよね」

──葬儀屋さんから、案内というか声はかけられるんですか?

「説明はします。ただ、営業と受け止められるので、そこは、さらっと。四十九日のことを考えられておられるようでしたらご相談に乗りますので、お声をかけてくださいね、と。そのときに、ああ、それやったら、家に仏壇がないから紹介してくださいとか、四十九日のお布施はナンボくらい包めばいいんやろうという話になるんですが。最近多いのは、考えておきますわ。で終わりますね。
 正直なところ、仏壇なんかゆったり考えていたら間にあわないんやけど。頼んでから出来上がるまでに早くても、二週間はかかりますから。でも、言うと押しつけになるんで、ご案内だけするにとどめています」

──四十九日について、葬儀屋さんだけでなく、お寺さんにも声はかからないんですか?
 
「お寺さんは、七日ごとにこういう法要行事があります。ついては満中陰のお日にちはこの日になります、と書いた『中陰逮夜(たいや)表』という紙をお渡しになります。それで何かあればご連絡くださいということで帰られます。ただ、その場で四十九日の相談とかがないと連絡のないままというのが多いでしょうね」

──四十九日をしないケースは、どれぐらいの割合になるんですか?
 
「そうですね。うちの扱いだと、されないのは、7割から8割ぐらいじゃないでしょうか」

──たとえば葬儀屋さんに頼まず、直接、お寺さんに頼んでするというのは?
 
「ないと思います。なぜかというと、お寺さんから、このあいだの〇〇さん、何日に満中陰ですから、と連絡が入るんですよ。
 しないでもいいんじゃないかというのもね、『葬儀を終えたばっかりで四十九日にまたお金がかかるんかい』というのも正直あるでしょうから。わからなくもないですよ。だから、ぼくもお金のことを気にされていて『仏壇なんですが、どうしたらいいんですか?』と聞かれたら、そんなに急いで買わなくとも、ようは気持ちですから、とりあえずは位牌に手をあわせているのでいいと思いますよ、とお答えしています。実際、形式じゃなくてね、気持ちだと思うんですよ」

──四十九日をしないとなると、その後の初盆とかしないことが増えているということですか?

「されてないお家が多いと思いますね。なんで?って、手間かかるでしょう。初盆に使う提灯とかも必要ですし、茄子とキュウリで牛とか馬とかお供えものを作らないといけないですし」

──手間は手間だけど、手間をかけることで、故人を思い浮かべたりするんだと思うんですが、どうしてしなくなったんでしょうね?
 
「結局、お葬式がそうであるように、伝え聞くということが途絶えてしまっているからでしょうね。『初盆って、そういえば、お爺ちゃんが亡くなった夏に、お婆ちゃんが縁側で火を焚いとったなぁ』と思い出される。それですよ、それが初盆の送り迎えなんですよ、とお話するんですけどね(笑)。
 まあ、お正月にシメ縄とかも飾ったりせえへんようになったでしょう。だから初盆もしないのが普通になっていくんやないですかね、これからは」

 達観したかのようなミズノさんだが、それでも、驚くことがあるという。50代くらいの喪服の男性から、お葬式に一回も行ったことがないんですと話しかけられることが珍しくないそうだ。

「焼香の仕方がわからないと言われるんで、聞くと、葬儀の経験がないと言われる。家族葬が増えて、昔は会社の同僚がなくなったりすると告別式やお通夜に行ったのが、お葬式に行く経験が減っていっているんですよね。たとえば、アサヤマさんがお父さんのお葬式をされて7年ですよね。それ以降、お葬式に行かれたことあります?」

──行ってないですね。
 
「でしょう。年齢を考えてみたら、一回くらいはお葬式に行かれてもおかしくないと思うんです。でも、いまはもう事後報告で知るというのがほとんどになっていて。会社勤めのひとだと、さらに機会は少なくなりますからね」

 ミズノさんは、お葬式をする意味や式の作法を宗教心とは別の社会知識として学校で教えるぐらいのことをしたらどうかという。お坊さんも、葬儀でお経を唱えるだけでにく、枕経とはどいうものなのか、なぜ七日ごとの法要をするのか。それらの意味を話すということは必要なのかもしれないなと思った。

 
 次回は、神式のお葬式について。