お葬式に、お坊さんはいらない?

葬儀屋、はじめました。8

格安葬儀の増加で、お葬式が変わる⁉

 

町の葬儀屋さんがどんなことを考え、日頃仕事しているのか話してもらいます。

 

f:id:waniwanio:20170922172859p:plain

 

f:id:waniwanio:20170922173614j:plain


語る人=水野昭仁(さくらセレモニー代表)
インタビュー・文=朝山実
写真撮影©山本倫子yamamoto noriko
ふろくマンガ©KUM

 

「きのう、事前相談の電話をされたお客さんが『会館の場所がわからないんです』というので、近くまでお迎えに行きますよ、と言うたんです。そうしたら、そんな葬儀会館を見学してもらうためだけに、わざわざクルマで迎えにくるというのは、どんな葬儀屋なんやろう? そこ怪しいんじゃない? と心配になったって言われました(笑)」

 近ごろは「事前相談」といって葬儀会館を見学したいという申し込みが増えている。社員数10人ほどの葬儀社とあってミズノさんのところは、社長を筆頭に、フットワークが軽いのが売りでもある。

「そのお客さんは、『差し支えなかったら、住所を教えてもらったら近くまで行きますよ』とボクが言うと、すごく親切やなぁと思う反面、そこまで親切にされるのって、恐かったというんですよね。
 そら、そうやろうね(笑)。

 会館の場所を説明して、お客さんに来てもらうのがふつうです。でも、説明しても『わかりづらい』と言われたら、せっかく電話してこられたお客さんやから、迷惑でなかったらお迎えに行きますよって。おうちのひとには、ウチの会館も見てもらったうえで、納得して決めてもらいたいし。
 でも、親切だと思う反面、お客さんとしたら、なんか怪しいんじゃないのって。尚且つ、迎えのクルマから降りてきたのが、この人相やから、一瞬顔が強張ってはったもんね(笑)。

 それで会館を見てもらって、一通り説明し終えてから言われました。
『最初、見たときにすごく怖かったんですよ』って。ふふふふ。

『見学のために迎えにくる葬儀屋って、どう思うって、家族で話していたんですけどね。でも、来させてもらって、よくわかりました』
 そう言われて、ボクのやっていることはヘンかもしれんけど、まちがってないかなぁと思ったんです。人間やし、話をしたら伝わるものは伝わるんやろうって。
 そのひとは、家族葬の通夜をしない『一日葬』のプランで考えておられたんですけどね。97歳のおばあさんがおられて、いろんなところを聞いてまわったそうなんです。よそは、電話であれこれ説明されてもよくわからなかった。それで、最後にするつもりで、うちに電話されたそうなんです。

『説明がわかりやすかったので、肩の荷がおりました』
『よかったですわ。ボク、きょうは電話をお受けしましたが、いまはそんなに現場に出ないようにしているんですよ。だから今日は、たまたまなんです』
『え、なんでなんですか?』
『奥さんがいま言われたように、よく顔見て怖いとか言われるし、だから儲かったら整形でもしようかと思てます』
 そんなこと言うて、まぁ笑い話にしましたけど(笑)」

 

 ミズノさんは自身も言うように黙っていると、イカつい顔立ちだ。もうすこし髪でも伸ばすなりでもしたら印象も変わるだろうに、甲子園の野球部員のように頭をボウズにしている。しかし、そこには彼なりのヨミがあるのだろう。第一印象で「恐い」と思われても、人柄に関しては接するうちに逆転させる自信がある。外見との落差が大きいほど、信頼感も増す。それもあってのボウズ頭らしい。

 ところでミズノさん、先日思うところがあって「火葬式」を数多く施行している葬儀社を見学に、会社のある関西から福岡までクルマで一往復したらしい。

「ただ行って帰ってきただけなんです。だから、とんぼ返りです。なんか美味しいもん食べたらよかったんやけど(笑)。
 火葬式というのは、以前は『直葬』と言うてたんですよね。お坊さんを呼んだり、通夜とかの儀式的なことはせずに、ご遺体を火葬する。これまでは直葬なんか利益がでないからと葬儀屋はどこもやりたがらんかったんです。でも、福岡のほうで、これまでの直葬のイメージとは異なる、ちゃんとした会館施設で火葬式をやっているところがあるというんで、どんな施設なのか見にいったんですよ」


 
お葬式にかける費用は年々下がってきている。従来「密葬」と言っていたものが、近年は「家族葬」と言葉をあらためてコンパクト化し、さらにお坊さんの立ち会いなどの宗教儀式を省いた「火葬式(直葬)」が増えているという。

「お葬式にお金をかけたくないというのは、もう仕方のない変化だと思います。でも、これまでは、お金が出ないんやったら、ご遺体を安置する場所も薄暗い倉庫のようなところというのが相場やったんですよ。それで、一度お預かりしたら、お顔を見たいと言うても出来ない。そういう扱いの業者が多かったんです。はっきり言うたら、モノ扱いですよね。

 でも、それはちょっとちがうんじゃないのか。そう思うから、ウチでは火葬式でも自社の施設を使ってもらって、お別れするまでに何度でもご遺体と対面しに来てもらってもいいですよ、というシステムをとっています。

 でも、まったく同じやり方をね、ウチよりもさらに大きな規模の葬儀社が積極的に受けているというのを知って、ものすごい気になったんですよ」

 わざわざ福岡まで、それも見学の時間はわずか15分ぐらい。一通り施設内を見せてもらい、居合わせた社員のひとに話を聞いた。「15分あれば十分わかりますから」という。

「なんで、わさわざと思われるかもしれませんよね。でも、たとえば、ウチでもやっていますが、火葬式で自社の会館の施設を使ってもらってもいいですよ、というのはボクの自己満足みたいなところがあって、はっきり言うて、会社としては利益にならない。そういうことを他所でもやっている会社があったんや、という驚きです。
 しかも、そこは会社として利益が出るように運営している。どうやっているんやろう?と思うじゃないですか。
 なかに入った瞬間、お客さんがここに頼もうかと思える場所なんやろうか?とか。実際に件数にして、会社として採算がとれるほど、あるのか。自分がやろうとしていたことを先にやられていたので、びっくりしたということです」

 従来はとくに大手の葬儀社が受けたがらなかった直葬だが、専門に扱おうとする葬儀社が出てきた背景には、業界全体の葬儀の単価が下降傾向にあるという事情が作用しているらしい。

「もう流れとして、葬儀単価は下がるいっぽうなんです。実際、ウチでも火葬式の件数は増えていますし。これからこの割合はどんどん増えると思います。そうなると、これからは単価の安い火葬式でも扱う件数を多くしていくしかない。
 たとえば、これまで一つの葬儀で30万円の売り上げがあったとしますよね。対して、火葬式は10万円。ほぼ一件の葬儀にしめる粗利は半分です。そうすると同じ利益を出そうとしたら、火葬式だと3件とらないといけない。しかし、ふつうにやっていたら、この3件がとれない。そういうふうになってくるんです。
 でも、『あそこでやってよかったわ』という評判があれば、その3件はとれていく。ひとの心理として、同じ料金であるなら、いいほうに動くでしょう」

──でも、労力としてはこれまで一回ですんでいたものが、×3回に増えるということですよね。

「もちろん一回ですんだものを三回せなあかんから、利益率は悪くなります。でも、これまでと同じ売り上げを維持したり、さらにその上を目指すとなると、単価の安いものの数を多くするしかない。となると、会社もそれに合う体制にしていかないといけない。安いかろう悪かろうではいけないんです」
 
──その30万円のお葬式と、10万円の火葬式ではもちろん内容はちがうですよね?

「内容は違います。30万円はふつうのお葬式です。ただ火葬式は、これまでの常識でいうと、お葬式とはいえないもんやったんです。
 まず、お寺さんが立ち会わない。祭壇もない。儀式めいたことは、一切行わない。仮に参列者がやって来られも、待機する場所もない。ただ、ご遺体を運んで火葬する。
 ただ、ウチではたとえそうであっても、仏さんを安置する場所はきれいなところ。こう言ったら、わかってもらえるかなぁ。よそだと、ほんと薄暗い物置みたいなところが多いんです。それが、同じ料金でビジネスホテルに泊まれるという感覚というか。
 ただ、安置場所を見てもらって、火葬式でいいです、と言われたご家族の方が『お花を追加してもらえますか』というふうにオプションで注文してもらえる。そういうものにしていきたいんですよ」

 火葬式では、祭壇や花飾りなどもない。仮に安置場所が鬱蒼とした倉庫のようなところでは、花を飾ろうという気にもならないが、そこがきれいな部屋であれば「花を添えてあげたい」というふうに気持ちが動くものだ、とミズノさんはいう。

「なかには、10万円のでいいと思ったけど、30万円のものにしようかというお客さんも出てこられますから。そういう施設を考えているんですよね」

 葬儀社が所有する、ご遺体の安置施設にはトランクルームを再利用した施設など様々だが、共通して、故人との対面が難しいことがあげられる。美観などの点から葬儀社としても「どうぞ、どうぞ」と招き入れるのに積極的になりえない事情があるようだ。ミズノさんが遠方まで見学に出かけていったのも、自身の目で確かめたかったのだという。

「写真とか見たらある程度はわかりますが、ネットの情報では掴めないものがありますから。たとえば? 施設の内装とかもそうですけど、スタッフの対応、どういう考えでやっているのか。会って話してみないとわからないことってありますから。

 でも、火葬するだけでいいと言うひとは、火葬場に行くまでの間に故人と会えなくなるという想像をしないんでしょうね。でも、ボクは仕事をさせてもらうなら、ちゃんとした場所で、家のひとも安心できる環境にしたいと思うんですよね」

 ふいに葬儀屋のミズノさんに、「お葬式は何のため、誰のためにするものなのか」と聞いてみた。
 
「そうやねぇ……。お葬式は、亡くなられたひとの尊厳のためだと思いますね。本来の意味は。あとは、送るひとの気持ちの区切りをつけるためにするもの、その二つだと思いますね」

──最近は「お葬式は不要」という考えも出てきて、お坊さんのお経も要らない。ドライな意見もめずらしくないみたいですね。

「これは、ひとそれぞれだと思うんですが、故人さんが、自分は宗教は要らない。家族にも信仰心はない。だから儀式めいたことは要らないと言うことであれば、もう火葬だけでいいと思うんです。
 仏式にしろ、神式にしろ、キリスト教にしろ、そういう宗教心がないというのであれば、しなくともいいんです。
 というのも、多少なりとも信心があってこその儀式だと思います。

 なかには何もしないのもなんだからと、お別れ会的なことをされることもありますが、ボク個人の考えとしては、絶対お坊さんを呼ばないといけないと思うことはないです。
 家がどこのお寺の宗派なのかもわかっていないひとに、『やっぱりお寺さんには来てもらうほうがいいですよ』とお寺さんを紹介するのって、おかしいことでしょう。

 仮に、故人さんに宗教心はなかっただけど、子供さんが『どこか頼めますか?』と言われる場合に、ご相談に乗るということはあります。ただ、こちらからはそういう声かけはしてません。
 なかには、『うち神道なんやけど、真言宗でいいわ』というひともおられました。『お家は神道なんですよ。いいんですか?』『祖父の代でつきあいは途絶えているから、ええわ』と言われて。
『それにしても、なんで真言宗なんですか?』とたずねたら、高野山に行ったときに、なんかええなと思ったそうです。そのときは、つきあいのあるお寺さんを紹介しました」

──ミズノさんは、自分のお葬式について考えたりは?

「します、します。ボクは、神式でやってほしいと思っています」

──神道はお通夜とかあるんですか?

「仏式だと、納棺前にお坊さんかする枕経(まくらぎょう)と、告別式で引導を渡すのが大事なんですが、神式ではお通夜にあたる『御霊遷し(みたまうつし)』が大事なんです。数多くお葬式をさせてもらってきたなかで、自分は厳かで、これがいいなぁと思ったというか。お寺にもいろいろ行ったけど、伊勢神宮に行ったときに、これまで感じたことのない神秘的な気配がしたということもあって」

──神式だと、祭壇とかもちがうんですよね。

「仏式とは作法もそうですが、祭壇も違います。仏式の白木の祭壇ではなくて、神棚を使うんですよね。
 ウチの家は、曹洞宗なんですけどね。そんなに信心があるわけでもないので。ただ、実際どうするかというのは、もう嫁ハンに任せるしかない。

 一回『おれは神道がええなぁ』というたら、『なに言うてんの。あんたは火葬式や。贅沢言うたらあかんわ』って言われましたけど(笑)。


 だけど、お葬式が要るかいらないかというのは、故人さんが生前にそれをどういうふうに伝えていたかにもよるやろうし、送るひとの気持ちによっても変わるやろうし。ただ、ぜったい儀式的なことはせなあかんというのはないと思います。葬儀屋が言うのもヘンかもしれないけど。ただ、まあ、何もしないよりは、やったほうがいいと思いますよ。気持ちの整理として」

──整理ね。かもしれないですね。だとしたら、葬儀そのもの意味については?

「故人さんの尊厳ですよね。あとは、送るひとにとっての決別。区切りをつけるためのものだと思うんですよね。……あとは、残されたひとがね、ちょっと頼る場所として、仏壇とかがあるんでしょうけど。どっかにそういったものがあると、安堵するというか、拠り所になるんだと思うんです」

──わたし自身は、もう家族もないから、お葬式はいらないと思うんだけど、しかしわざわざ「要らない」と他言するのもヘンじゃないのかなと。

「まあ、そのひとがどういうふうに生きてきたのがお葬式にも表われるというか。ふつうにやってこられたひとは、普通のお葬式をされているように思いますね。
 でも、そのヘンはね、いろんな考え方があるから、そのひとがいいと思う仕方でいいと思うようになっています。
 前にも言ったけど、もともとボクは若い頃は自分さえよければいいんだという考え方の人間だったんですよ。それが葬儀の仕事をするようになって、やりがいを感じ、考え方があらたまってきた。

 でも、日々ね、自分がいまどうこう思っている、この考えは正しいんやろうか? もしかしたらおかしいんやろうか? 葛藤があって、お葬式というのはこういうものですよと、ひとに押し付けるのはよくない。そう思うようになっています」